はじめに
AIのべりすとなるサービスがある。かの有名なOpenAIのGPT-3に匹敵するサイズのパラメータで訓練されたモデルが使われているらしい。
こうしたAIはあくまでも創作活動の補助ツールとして、ヒントとして用いられるべきであるというのが私見である。今回はそうしてできた短編を掲載する。
本編
むかしむかしあるところにおじいさんとおばあさんがいました。
「ばあさんや、今日は何の日だか知っているか?」
「はい、もちろん」
「おお!では言ってみろ!」
「えっと…たしかあれは…」
「なんだ?どうしたのだ?」
おばあさんはなかなか思い出せず、おじいさんはしびれを切らし、山へ芝刈りに行ってしまいました。一方のおばあさんはいつまで経っても思い出せないので、こちらも仕方なく川へ洗濯に行きました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、川の上流から大きな桃が流れてきました。
「あらあら、立派な桃ねぇ」
おばあさんはその桃を持ち帰ります。
おじいさんが家に帰ると、家には大きな桃が。おじいさんは尋ねます。
「ばあさんや、これはどうしたのか?」
「川で拾ったのですよ。言い伝えによると大きな桃は若返ることができるらしいですよ」
「それなら桃を割ってみよう!」
おばあさんが桃に包丁をいれてみると、どうでしょう?…何もありませんでした。
しかし桃を割ったその瞬間、おじいさんたちの家を地震が襲いました。
おばあさんは家の外に逃げることができましたが、おじいさんは咄嗟に桃の中に逃げ込みました。
地震の揺れはそれはもうひどいもので、おじいさんの入った桃は桃のあった川に落ちてしまいました。
おばあさんは言いました。
「あ、そうだ思い出しましたよ。今日は私の命日ですね」
あとがき
AIのべりすとでは、対話形式で物語を綴っていく。例えば上記では「なんだ?どうしたのだ?」で、一度物語の生成は中断しユーザの入力が求められる。今回私がお試しでそのまま生成を続行させたところ、今回のオチである「おばあさんの命日」が生成された。
物語生成のモデルは膨大な小説をもとに文章を構成する。小説お決まりのパターンや発想は、ヒトのもつ経験ベースに比較にならないレベルで取り込んでいると考えられる。こうしたツールの普及は、小説を書くことに慣れていない人であってもその参入障壁を減らす方向に世の中が変化するきっかけになると感じた。
関連して桃太郎はいわば『異世界はキビダンゴとともに』だなぁと感じた。異世界スマホが批判されるのはその話がシンプル過ぎるためで、その違和感を取り除くためにはターゲットに即した、物語の複雑性が必要だったのだろう。