となりのJohnの気まぐれ

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【雑記】言語が進化する"とゆう"こと

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はじめに

十分は「じっぷん」と読むが,実際のところ誰も気にしない.言語は進化し,伝われば充分である.こうした「読み」の音の"進化"と同様「書き」の進化もある.
しかし言葉は進化すると言えど,見慣れてきた表記からそうでない表記を目にするようになるともどかしい.

年をとったのか,最近生活の中で特に書き言葉で表記の"間違い"が目に付くようになってきた.もどかしさを感じる表現やそうした表現が増えていると思われる背景について私の認識を書いていく.

ここで扱う対象は一般にインターネットで使われるスラングやいわゆるギャル語ではなく,一般に使われる日本語である.一般に使われる語は世代や性別を超えて様々なフィルターを通過した言語なので,言語の進化として注目する価値がある.なので,ここではそのような語を扱っていく.

特に私が最近違和感を覚えていることば

早速違和感を覚えている語を挙げていこうと思う.とはいえ,私のインターネット歴はまだまだ浅くしかも私は言語学者ではない.その点,指摘は勘弁していただきたいところである.
私が最近違和感を覚えている言葉は,「~とゆう」,「~ずらい」というひらがなや,「~を鑑みる」という言葉だ.それぞれ次の誤りが含まれている(と思う).

「~とゆう」

「~という」がなまった形.口語的には「という」を「とゆう」と発音するので,こうした使い方が目立っている?

「~ずらい」

正しくは「~づらい」.つらいが変化したもので,音ベースだと間違うポイント.

「~を鑑みる」

「~に鑑みる」.正しくは「に」に続く.
www.weblio.jp
「~を鑑みる」は大抵「~を考える」で置換できるので,私は大抵の場合そちらを使う.わざわざこのような禍々しい言葉を使わなくとも,十分に「考える」で通用すると考えるのは私だけだろうか.

こうした言葉が生じる背景について,私の見解

私が考えるこのような言葉が広がる理由はスマートフォンである.

現代は思う存分意見を吸収できる時代であり,同様に誰でも簡単に意見を述べることのできる時代である.特に日本の匿名性が高いインターネット文化ではそうだが,意見を吸収するときに我々には主観ではあたかも世間一般が,日本語という共通語を使い発言しているように"見える".しかしその実態はその発言者は10歳に満たない子供かもしれないし,50歳を大幅に超える人なのかもしれない.匿名性はこうした世代間の差をなくしフラットにする.

上記のような日本語が広まるのは,日本語の"一般的モデル"に従い発言者は日本語を発言するという前提が各人にあって,情報の吸収に従って各人の"モデル"とする言語が変化していくためではないかというのが私の見解である.つまり,Aが例えば「~という」が正しい言葉遣いであると認識していたとしても,「~とゆう」語法を広く吸収するうちに,それを使うよう自然にモデルを更新するということである.このモデルの更新は若ければ若いほど頻繁に行われる.若年層からみたインターネットでの言葉遣いの見え方は,大人が使用している言語そのもの,という認識であるためだ.

今日,我々が日々触れるであろうWebサイトには,必ずと言っていいほどコメント欄があり,そのサイトは1つに限られないのが通常である.そうした中で起きる言葉や意見の吸収はいわば言葉のDNAが豊富に混ざりあった状態で,そこから生じる言葉はあたかもカンブリア紀の生物のようである.こうした言葉の混沌とした環境はこれからも我々に違和感を感じさせるだろうが,言語の"一般的モデル"を進化させていく.これを可能にしたのがスマートフォンなのである.

本来,誤用はある程度訂正が効くものである.発言は大抵の場合発信者の"いわば諸元"がわかっていて,それに対して聞き手は訂正する.こうして,言語の急激な進化は抑制されてきたといえる.日々人が目にする主な発信者も限られてきた.
しかしながら,発信者の諸元が匿名で幅広い今日では,ヒトはその訂正機構が働かない/抑制されていない言語モデルを扱いつつある.

まとめ

今回の内容はポエムであることは重々承知している.今回は,インターネット上で進化が加速する言葉に触れた.インターネット上の言葉は進化の源流である.違和感を覚えるところもあるが,うまくついていけるように私も進化していきたいと思っている.