【ネタバレあり】デスストランディングについての雑多な感想

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これは何?

 昨年末に集中的にプレイしたデスストランディングの雑多な感想.

どんなゲーム?

 簡単に言うと意図せずあの世とつながったことで文明が崩壊し,人がコミュニティごとに孤立した世界で配達人として依頼された荷物を運搬,人とつながる/つなげるゲーム.

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配達人サム

人とつながる

 これまでの"棒"を主体としたFPS等のゲームではなく,"なわ"を主体としたゲームであるらしい.いわゆる"敵"との共生という側面ではついこの間流行したアンダーテールのようなゲームかとも感じられるが,本作では主人公であるサム(プレイヤー)と分かり合える相手,分かり合えない相手が存在する.例えば分かり合えない相手としては,配達人のプレイヤーに対し荷物を奪取することに依存するキャラクターや,プレイヤーの命を狙うキャラクターが登場する.しかし主人公は分かり合えない相手を拒絶(=殺害)することなく,気絶させるだけに留める(正確にはそうせざるを得ない).

人の多面性に触れる

 現代は便利な時代だ.外に出なくてもインターネットを使えば買い物ができる.ニュースもインターネットで簡単に読める.人の動きも実際に目にすることなく動画で観れる.昔と比べて人が触れることができる情報の摂取量ははるかに増加しているのは明白だ.しかし人が消費できる時間は限られている.この結果,人が触れることができる情報量は昔に比べて断片化していると思う.

 SNSを始めとしたコミュニティではこうした断片化が原因で,抽象度が特に高くなり簡単に人を拒絶できてしまう.現代では多面性に触れることなくフィルターされた情報をもとに人をラベリング,コミュニティが断絶する.

 本作では,大抵のプレイヤーはこうした拒絶を避けるよう余儀なくされる.荷物を奪うのはあくまでもそのキャラクターの一面に過ぎず,表面化していない側面を想像し相手を尊重する態度をとる必要がある.加えて,本作では世界中のプレイヤーと非同期で建築物を共有することで協力して移動を楽にするシステムが実装されていることで,他のプレイヤーに感謝できる.オンライン上の,大抵のゲームでは対戦の相手として立ちはだかることになるであろう知らないプレイヤーと協力することで,直接見ることはできないまでも確かな人としての存在を感じることができる.

 直接確認される現象からそのバックグラウンドを想像することは,ゲームを通じて本作が力を入れているところ.核爆弾を渡されたプレイヤーは基本的にゲームの指示に従うことなくそれを処理する必要がある.同様に,タールベルトを渡る方法も自分で考える.小島プロダクションの第一作ということでスタジオがこれから取り組む作品の方向性が示されていると思う.

この世とあの世

 本作はやたらと海を想起させる表現が多い.BTやアイテム位置を示すガイドはあたかもより糸に重しを付け,海底に沈めたかのような表現で,国道やクレータの淵はモノや岩,死体が海面へ上昇していくようだ.カニやクジラ,イルカの死体の山もある.配送センターは船のような形をしている.
 生物は海で発生,進化し上陸した.本作のこの世の描写は生きている限り海とのつながりを絶つことはできないというものだ.対して死者であるBTは水をはじくタールのようなもので構成されており,異質なものであることを如実に表現している.

ベースとなっているのはノアの箱舟…?

 こうした水で満たされた"この世",本作で描かれている限りではアメリカ合衆国の人類は絶滅間近であること,そしてエンディングの描写はノアの箱舟を彷彿とさせる.しかし元ネタはノアの箱舟のさらに元ネタの,ギルガメシュ叙事詩のウトナピシュティムの洪水伝説から来ていると思う.物語の中でギルガメシュは,ウトナピシュティムに永遠の命を得る方法を尋ね,ウトナピシュティムがノアの箱舟に描かれるような方法で大洪水に対応した結果与えられた能力であると答えるものだ.

benedict.co.jp

 伝説の中で,ウトナピシュティムは舟をつくり全生物の種子を舟に,そして定められたようにするよう神から指示される.

 本作に符号させるのであれば,ウトナピシュティムは主人公サムである.彼に指示を行う神,エアはプレイヤーにあたる.わざわざプレイヤーの指示(入力)に従い,ヒトの精子/卵子(種子)を運搬,絶滅につながるBTを避けたルート(舟)を構築する.こうして神への信仰心が深いサムは最後にエンディングで救済を受ける.
 さらに,この伝説では神は複数人存在する.これら神々は洪水に怯え,天に逃げたらしい.これは空中に謎に浮いていた6人に該当するのだろうか?

特に面白い描写

アメリに関係するとキャラクターはプレイヤーを認識できる?

 本作では,やたらと"メタい"セリフを吐くキャラクターが登場する.ヒッグスと主人公であるサムである.ヒッグスは初登場のポートノットや,核爆弾をサムに破壊された後の感想で,プレイヤーの存在を明らかに意識している.サムも同様にプレイヤーの存在を意識し,操作中強制的に自身の背後を振り返る動作をしたり,BTとの遭遇時にはプレイヤーに撤退してもいい旨のセリフを吐く.挙句の果てには,1人ビーチに取り残されたとき,彼はプレイヤーを代弁して「未完成なのか?」というセリフまで吐く.こうしたキャラクタの特徴は彼ら以外のキャラクター以外には見受けられないように思う.彼らは特別なキャラクターだ.

"特別なキャラクター"の殴り合い

 本作では,彼らが最後に激突するシーンがある.従来のゲームとして考えることができるMGS4のように殴り合うシーンだ.サムはアメリまであと一歩,という状況でそれを阻害するヒッグスをなんとしてでも倒すという信念で彼に立ち向かう.このシーンではUIもゲームっぽくなり,プレイヤーの操作も制限され,アーケードゲームっぽくなる.新しいゲームであることを掲げて進めてきたゲームの,いきなりの旧式化である.
 サムは最終局面であることも意識し,遂にここまでの不満をぶちまける.サムは自身がプレイヤーにより操られる存在であることを認識している.窓際(ウインドウ)から指示され,ひたすら無理な川渡り,無理な登山をさせられたブルーカラーのサムは「山や川はたくさんだ」と怒鳴る.自分は喋ることがないのに,ひたすらサムにセリフを吐かせる,無理なところを歩かせる,サム自身には"いいね"を送らないプレイヤーに「"ありがとう"!"ごめんなさい"!"お願いします"だ!」と怒鳴る.最終局面前半で銃で自身を殺害しようとしたヒッグスをプレイヤーを始めとしたサムを阻む様々な壁に見立て,殴り続ける.ゲームをしたことがあるなら,「強くてニューゲーム」は誰しも経験があるだろう.ヒッグスも縄しか持たないチュートリアルの敵のようなサムを倒す心境で対峙したに違いない.
 プレイヤーはゲームというインタフェースを通じてプレイヤー自身を殴る,という構造になっているのが特に興味深い表現だ.これも前述の,間接的な情報から人を想像する,本作が訴えるポイントである.

ゲームを終えて

 本作からは,私は特に生物的/文化的な遺伝子の重要性を感じた.本作のキャラクターはいつか必ず生じる種の絶滅への諦めに対し,横方向縦方向のつながり(ブリッジ)で抵抗する.すなわち,横方向のつながりはコミュニティ同士のつながりである文化的な遺伝子の保存,縦方向のつながりは生物的な遺伝子の保存である.クリフから両遺伝子をブリッジされたサムは,結果的に人をつなぎ,装備であるBBに名前を付けることで両遺伝子を保存した.たとえ人類が絶滅するとしても,その遺伝子をより高位な種に保存することは可能である.それが今日まで生命が取り組んできた責務なのであり,それをないがしろにするべきではないという主張を感じた.

 思えば私は自身の人間関係をどのように構築してきたのだろうか.本作は攻略に相当な時間を要する.夜中に一人でじっと腰を据えてプレイすることになるのだが,間接的に感じる人の存在だけでなく,実際に近い人の存在との自身の関係を今一度考え直すよう迫られているようにも感じた.


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